「ベズル・マーチ」(Bežul Marč)-ボスニア
昔々、ボスニアの山あいにミェリ村という小さな村がありました。その村には、子どもたちの間で密かに語り継がれる存在がいました。
「ベズル・マーチに会ったら、後ろを振り返ってはいけないよ。」
ベズル・マーチとは、夜の森に現れる赤い帽子をかぶった足のない男のこと。ふわりと空中に浮かびながら森を歩き、真夜中に道をたずねるのだといいます。
「すみません、ミェリ村はどちらですか?」
その声を聞いた者は、決して答えてはいけない。そうしないと、彼の問いが永遠に終わらず、森の中をさまようことになるのです。
ある夜のこと。12歳の少年レオは、薪を取りにいく父について山に来ていました。ところが、帰り道に父とはぐれてしまい、月明かりのない森でたったひとりになってしまったのです。
「お父さん!おーい!」
声を出しても返事はなく、レオは心細くて泣きそうになりました。
そのとき、カサリ…と木の葉の音がし、低くやさしげな声が聞こえました。
「すみません、ミェリ村はどちらですか?」
レオは顔を上げました。そこにいたのは、宙に浮かぶ黒いマントの男。赤い帽子をかぶり、目は深い影の中にありました。足は見えず、地面につかずにふわりと浮かんでいます。
レオは一瞬、返事をしそうになりましたが、村で聞いた話を思い出しました。
(これが…ベズル・マーチ!)
「。」
レオは黙って首を横に振り、ゆっくりと後ろを向かずに歩き出しました。男の声がふたたび響きます。
「道を教えてください。あなたは親切そうだ。少しだけでいいのです」
でも、レオは答えませんでした。心の中で、母に教わったおまじないの言葉をそっと唱えながら、歩きつづけました。
「お願いだ…少しでいいんだ…」
声がだんだん低く、重く、地鳴りのようになっていきました。しかしレオは決して後ろを見ず、振り向かず、足を止めませんでした。
やがて、木々の間からかすかな灯りが見えました。村です!
その瞬間、背後の声が消え、夜の森が静かになりました。
家に戻ると、父も村人たちも心配していました。レオはことの一部始終を話しました。
すると、村の長老がうなずいてこう言いました。
「おまえは試されたんだ、レオ。恐れと親切のあいだの心を。だが、おまえは賢かった。親切は大切だが、相手を見極める目もまた、大切なんだよ」
その日からレオは「夜の声に勝った少年」と呼ばれました。そして今でもミェリ村では、子どもたちにこう言い聞かせています。
「森で道を聞かれたら、まずは空を見なさい。風が止まっていたら、それはベズル・マーチかもしれないよ」
おしまい。
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