Onedollar Wanderer

「イカと氷の女王」(The Octopus and the Ice Queen)-グリーンランド

イカと氷の女王はグリーンランドの物語です。

昔々、グリーンランドの深い氷の海の底に、八本足の大きなイカが住んでいました。名前はナーガルク。彼は力も知恵もあるが、とても気難しく、人間とも他の生き物とも距離を置いていました。

ある冬のことです。海の上も下もすっかり凍りつき、魚もアザラシもどこかへ消えてしまい、ナーガルクの食べ物もどんどん減っていきました。怒ったナーガルクは、大きな触手で氷を叩きつけ、叫びました。

「この氷のせいで、すべてが閉ざされてしまった!」

その声は深海を震わせ、北の風に乗って氷の山の奥へ届きました。そこに住んでいたのが、氷の女王アイスラでした。アイスラは氷でできた王冠をかぶり、雪のように白い肌をした、美しくも冷たい心を持つ精霊です。

アイスラは怒りに満ちた声を聞いて、海の底に降りてきました。そしてナーガルクの前に現れ、静かに言いました。

「氷はお前の敵ではない。氷はこの世界を守っているのです。」

ナーガルクはうねる触手で海をかきまぜながら叫びました。

「守っている? それなら、なぜ命を閉じこめる! すべてが凍りつき、何も動けなくなっているではないか!」

アイスラは少しだけ悲しそうな顔をして、こう答えました。

「あなたは動くことで世界を知った。でも私は、止まることで世界を守る。それが私の役目なのです。」

ふたりの言葉はすれ違い、海の中に冷たい沈黙が広がりました。

しばらくして、アイスラはふと目を閉じて言いました。

「ならば、ひとつの試練をしましょう。もしあなたがこの海の命をひとつも傷つけずに、氷を溶かせるなら、私は氷を退きましょう。」

ナーガルクは考えました。いつものように力ずくではだめだ。そこで彼は、海底にある熱の石を思い出しました。それは海の深くにだけある、小さな赤く光る石。熱を持ち、周囲を少しだけ温める不思議な石です。

ナーガルクはその石を慎重に集め、海流を利用して、少しずつ氷の層の下に運びました。すると、氷は音もなく静かにとけはじめました。急がず、怒らず、ただ「変化の準備が整うまで」見守るように。

氷がとけたその先から、魚たちが戻ってきました。海草が揺れ、アザラシが遠くから姿を現しました。

アイスラはそれを見て、ふっと笑いました。

「あなたの怒りは間違ってはいなかった。ただ、やり方を見失っていただけ。」

そう言うと、アイスラの王冠は雪の結晶となって溶け、彼女は風のように消えていきました。それからというもの、海には巡る季節が生まれました。氷は来て、やがて去り、海は眠りと目覚めを繰り返すようになったのです。

ナーガルクはそれ以来、氷を憎むことはありませんでした。静かに海を見つめながら、こうつぶやくようになったのです。

「守ることも、変えることも、同じくらい勇気がいるのだな」

おしまい。