「クズミア」(Kuzmija)-ボスニア
昔々、ボスニアの深い谷に囲まれた村に、風の声が聞こえる丘がありました。その丘に立つと、ある夜だけ、不思議な女の人の歌声が聞こえるというのです。
その女の名は、クズミア。
人々はこう語りました。
「クズミアは霧の中から現れる。心に迷いを持つ者にだけ見える。だが、試されるぞ」
ある冬の終わり、村に住む少年ミルザは、悩んでいました。父のあとを継いで羊飼いになるべきか、それとも山を越えて町へ出るべきか。夢と義務のあいだで、ミルザは毎晩ため息をついていました。
ある夜、ひとりで風の丘に立ったミルザは、低く甘い歌声を耳にしました。霧があたりに広がり、気がつくと、白いドレスをまとった女性が現れていました。銀の髪を風にたなびかせ、目は月のように輝いています。
「あなたが…クズミア…?」ミルザは息をのんで尋ねました。
「風が呼んだのよ、ミルザ。あなたの心が迷っているから」
クズミアはやさしく語りかけました。
「どちらの道を選べば、正しいのか、わからないんだ」とミルザ。
クズミアは指をすっと天に向けました。すると空から羽のような白い葉がひとつ落ちてきました。
「この葉を持って旅に出なさい。三日後、森の向こうにある三つの門の前に立つでしょう。そのとき、風が教えてくれる」
そして彼女は霧とともに消えました。
ミルザは翌朝、決心して旅に出ました。森を抜け、丘を越え、三日後、本当に三つの門にたどりつきました。
一つ目の門には「富」、二つ目の門には「名誉」、三つ目の門には「無名の道」と刻まれていました。
どの門を選ぶべきか迷ったそのとき、風がそっと吹き、ミルザの手の中の白い葉がふわりと舞い上がりました。そして、「無名の道」へと吸い込まれるように飛んでいきました。
ミルザはうなずいて、その門をくぐりました。道の先には町があり、そこでは困っている人たちがたくさんいました。ミルザは羊の世話で培った知恵とやさしさで、人々を助けました。名は知られずとも、町の暮らしの中で、彼は多くの人に感謝され、愛されました。
何年も経ったある日、風の丘に帰ったミルザは、再びクズミアに会いました。
「答えは見つかった?」と彼女。
「はい。選んだのは道ではなく、誰のために進むかということでした」
クズミアはにっこり微笑み、こう言いました。
「ほんとうの声は、風より静かな心の中にあるのよ」
その日以来、風の丘にはもうクズミアの姿は現れなかったといいます。けれど、今もなお迷う者が風の丘に立つと、どこか遠くから、風の歌声が聞こえるのだとか。
おしまい。
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