「ヴァルゼン湖の伝説」(Die Legende des Walzensee)-スイス
スイスの深い山々のあいだに、ヴァルゼン湖という静かな湖があります。湖はエメラルドのように透きとおり、風がない日は空と山がそのまま映るほど美しいのです。
昔々、この湖の近くにレアという少女が住んでいました。レアは水が大好きで、毎朝湖の岸辺に行っては、波の音を聞きながら歌を歌っていました。
ある日、レアが水辺で歌っていると、湖の水面に金色の光がきらめきました。
「レア…レア…」
呼ぶ声が聞こえ、水の中から白く光る魚のような生きものが姿を現しました。それは、湖の精霊・リムールでした。
リムールはこう言いました。
「おまえの声は清らかだ。わたしは長いあいだ、この湖にひとりでいた。けれど、おまえの歌声で湖が笑った。どうか、湖の守り手になってほしい」
レアはびっくりしましたが、怖くはありませんでした。湖がいつまでもきれいで静かであるように、守る仕事なら喜んでやりたいと思いました。
リムールは一枚の銀のうろこをレアに手渡しました。
「このうろこは、湖の気持ちを教えてくれる。水が怒っているときは冷たくなり、よろこんでいるときはあたたかくなる」
それからというもの、レアは湖の近くで花を摘んだり、ごみを拾ったり、静かにお祈りをしたりして過ごしました。銀のうろこは、いつもポケットの中にありました。
けれど、ある夏の日のこと。町からやって来た人たちが湖の岸辺で大きな音楽を鳴らし、花を踏み、ボートで水を汚しました。
その夜、レアのポケットのうろこは氷のように冷たくなっていました。
「湖が…怒ってる!」
レアは急いで湖へ行き、静かに湖のほとりに座りました。そして、小さな声で湖に話しかけました。
「ごめんなさい。あなたが悲しんでいることに、もっと早く気づくべきだった。もう、こんなことが起きないように、わたしが守るから…」
すると、水面がふわりと光り、風がやさしく吹きました。
リムールの声が、波の間から響きました。
「ありがとう。ほんとうの守り手は、力ではなく、心で湖と話せる者なのだ」
その日から、不思議なことが起きました。
レアの声で話されたことは、風となって村に届くようになったのです。
「この湖は、みんなの鏡。きれいな心で見つめれば、きれいに返してくれるよ」
村の人たちは少しずつ気づきはじめ、音を立てずに歩き、水に石を投げることもやめました。レアのうろこは、それ以来ずっと、あたたかいままでした。
そして今も、ヴァルゼン湖のほとりに立つと、風の中に少女の歌声が聞こえることがあります。
それは、湖と心を交わしたひとりの少女の、やさしい約束。
おしまい。
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